知識の窓
今回は"大相撲"のお話をします。太極拳なのになんで相撲!?なんて言わないで下さい。
実は"太極拳"の哲学的思想の柱になっている[陰陽・五行説]のお話しなんですから・・・。(注)長いお話になるので、2回にわけてお話します。
A:【広辞苑】によると、「相撲」は
"相撲・角力。「すま(争)ふ」(あらそう)から。土俵内で、二人が組み合い、力を闘わせて相手を倒すか、もしくは土俵外に出すことによって勝負を争う技。古代から宮廷で、相撲(すまい)の節として秋に行われた。"とあります。
また〔角力〕の角は比べる・せりあう・力比べするの意。
相撲は、古くは秋の取り入れの祭りとして行われていたのですね。現在でも、宮中の祭事には、このような中国文化の(暦、農事、ことに道教的)色合いの濃いものが伝えられています。例えば「新嘗祭:にいなめさい」のように。
B:次に行司さんの掛け声「ハッケヨイ」から。
"さあがんばれ!がんばって!"と言っているのでしょうが、もともとは中国語で「発起揚揚:faqi yangyang:ファチィヤンヤン」"意気揚々の盛んな様"を言ってるのだそうです。(日本相撲協会談)
C:次も行司さんの「・・・打ち止め―!」から。
その日、最後の取り組みであることを紹介するのに「本日はこの相撲一番にて・・・打ち止め―!」と声を上げます。私は"もうこれで拍子木を打つのを止めます"ということかなぁ?など思ったりしたことがありましたが、そうではありませんネ。
この打ち止めの「打:da」は日本語で"○○をする"とか、"ある手段・動作をとる"ことなど、広く使われています。
ところが、中国語では「打架:da jia=けんか。とっくみ合いをする」のように使っています。
ですから"太極拳をする=打太極拳:da tai ji quan"といいます。
したがって、「これで勝負は、取り組みは終わりですよ―!」ということですネ。
このように、相撲用語には、古く中国語がかかわっているのですネ―。
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かつて、土俵の四隅には、四本の丸太の柱が立ち、神明造の屋根を支えていましたが、今はつり屋根になりました。その柱のあった位置には、四つの色の大きな飾りの房が下がっています。
(1) [陰陽五行説]は、屋根の下に張り巡らされた水引幕を、四方それぞれの中央で絞り上げている揚巻(あげまき)の房の色にあります。
その揚巻は、青房、赤房、白房、黒房になっています。
これには、次のような意味があります。
◎ 青は東方をさし、守護神の青竜を、そして春を表しています。
◎ 赤(朱)は南をさし、朱雀(赤い鳥)を、そして夏を表します。
◎ 白は西方を指し、守護神の白竜を、そして秋を表します。
◎ 黒(玄)は北方を、玄武(黒い亀)を神とし、冬を表しています。
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古墳のことなどで聞いたことのある名詞がたくさん出てきましたね。 ついでに玄武門(北方の門)・青竜寺・白虎隊・朱雀門(南方にある門)などなど・・・
連想してみてください。
あれ?勘の言い方はお気づきかもしれませんが、[陰陽・五行]というのに四行ではないか―?!
いえいえ、中央に黄色があるのですが・・・。この話しは次回に送りましょう。
(2) 水引幕は『水剋火:すいこくか』といい『火にかつ水』すなわち、土俵上の争う(すまう)熱気(火で陽の気)を紫色の幕(水で陰の気)によって鎮める。と言われています。陰・陽説ですね。
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(3) 堅魚木(かつおぎ)の陰と陽にもふれましょう。
土俵の屋根の上に、円筒形の鰹節のような形が、棟木に直交するように、 何本か置かれていますね。
今の国技館では、五本で奇数:陽:男神を表して いるそうです。
では、六本のときは偶数:陰:女神ということになるのでしょう。
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力士は"東"と"西"から土俵に上がって、そして降りていきます。
南北とくに北(玄)が"正面"で南を"向う正面"と言い、正面に 審判長さんが座っていますね。
中国の都城の造営に当たっては、玉座を中心(黄色)にして 南北が軸になり、東西がその左右対称の配置になっています。
北京がそのいい例でしょう!
南北に行政府が、そしてその東と西の地区が一般民衆の居宅や市場が造られています。
なにしろ、中国語・で「買い物をする」は「買東西(mai dongxi)」という具合ですから。
皇帝が天を祭る天壇や、正陽門(真南の門)など、重要な建造物は、南北の軸の線上にあります。
韓国のソウルや、日本の京都などはどうなっているのでしょうか――?
ときに、「北まくらをするな!」と言うのを聞くことがあります。なぜ?
昔の陵の玄室は玄のとおり北にありますからね。
たぶんこんなところに源があるのでは・・・?
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F、【塩撒き】という作法から
「なぜ塩を?」と聞くと、まず"土俵を浄める"という答えが返ってきます。
でも、料亭などで玄関に水を打って、入口の両脇に小さな白い"盛り塩"がしてあるのを目にしたことはありませんか?
これには、次のような中国の故事があるのです。
300年ごろ、西晋という国を建てた司馬炎という皇帝がいました。彼は風流人で自由人でもあったそうです。その後宮には、美女数百人を侍らしその部屋部屋を、数頭の羊が曳く車に乗って、夜毎巡回していくのだそうです。
そして、たまたまその羊車が停まったところの房を、その日の夜伽としたというのです。
そこで美女たちは、羊の足を停めるための考えをめぐらせました。
そして、羊の好きな"竹の葉に塩をそそいで部屋の通路に挿しかけた"そうです。
ですから、この故事を『挿竹灑塩(そうちくさいえん)』と言います。
つまり『幸せを招く塩』"招き塩"ですね。
相撲の"塩まき"は"勝ちを呼ぶ塩"と考えをめぐらせでみたらどうでしょうかネー。
G、『心』という字の手刀(てがたな)から
相撲は"礼に始まり、礼に終る"といわれます。 負けた力士が悔しさのあまりか時に礼をしないで土俵を下りると、審判長から注意されます。
また、勝った力士が、行司から懸賞金を受け取る時に手刀で『心』という字をなぞりながら受取っていますね。
[礼]の思想は、儒教思想のなかでも最も重要な道徳的観念です。礼をする。
心という字の手刀を切る。などは、その表現であり、いつの時代か作法として形になって伝えられてきたものでしょう。
剣道、柔道、茶道などにも、このようないろいろな「礼」の形(作法)がみられますね。
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第2回のまとめに
大相撲は『国技』といわれるように、古式に則った形が受け継がれているのが飾りなど。
このように、伝統にはそれぞれの持つ"様式"(形)が重んじられます。
そして、この様式また作法を守ることによって、普遍的な価値を持つ様式の美しさが生まれ、それが伝える力にもなっていくのでしょう。
また"ふるい"と言われながら、大相撲も、次々と新しい変革があっての現在であると思われます。
今回は、大相撲の形をとおして、実は、私たちの祖先が大陸の文化(陰陽・五行説、道教的祭礼儀式、易の科学、儒教的作法)を、自分たちのものにしていったか!
を振り返ってみました。
A:はじめに
はるか、遙かな昔。長い時間の中で大勢の人たちが、大陸そして朝鮮半島から次から次へと海を渡ってやって来ました。この人々はいつのころからか、日本列島人になっていきました。
――弥生時代から奈良時代にかけての約1000年間に渡来してきた人々は百万人に達したという‐―― <考古学者 埴原 和郎>
その人々の持っていたいわゆる大陸文化も、日本列島の風土になじみ先住者とも共生し、育てられ伝えられていきました。
それらが現在の私たちの身のまわりでも生きていることに気付かされることがあります。
この《鼻めがね》では、それらの渡来文化をとりあげてお話していこうと考えました。
話のなかで皆さんが「エー!ウッソー!」と思われることがあったら、話し役の私はシメシメと思うのですが・・・・。
中国四大武術の一つ"太極拳"の思想『陰陽五行説』は次回からのお楽しみということにして、今回は肩の凝らない話、『中国四瑞(しずい)』から、早速はじまりはじまりです。
B:神霊視される四瑞
瑞兆、瑞気、瑞祥といわれるように、めでたい徴しが"瑞"です。瑞はいずれも想像上のめでたいとされる動物たちです。
鳳(ほう)・麟(りん)・亀(き)そして竜(りゅう)のことです。
B-1.鳳凰(ホウオウ)
凰がメスだそうです。この鳥?はお御輿の頂上で頑張っています。
B-2.麒麟(キリン)
麒がオスです。皆さんすでにご存知。この季節美味しい!ビールのラベルで有名です。
B-3.亀(キ・かめ)
亀といえば"長寿"です。未来を予知する能力があるとされ、古代から"亀卜(きぼく)"という占いが行われました。
B-4.龍(リュウ)
いわゆるドラゴンのことです。"恐竜"というように、竜は巨大なのでしょう。
竜は中国の昔からの廟や宮殿の、屋根に、柱に、階段に、天井・欄間にとそれはもう至るところに装飾として使われています。日本でも、お宮さん、お寺さんで時に見つかることがあります。身近では大原美術館前の石橋にもいますネ。
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写真2 廟の柱の竜<台湾> | 写真3 階(きざはし)の竜<台湾> |
実は、この《鼻めがね》の今回のテーマにしたいのは、この"竜"のことです。
なかでも古くから伝えられた"中国民話≪九匹の竜の息子たち≫"のお話です。
それでは私たちの祖先の命がけの旅に想いを馳せながら話しをすすめて行きましょう。
C:祖先神の竜
中国の歴史に最初に登場する王朝を"夏(か)"と呼びますが、この夏の人たちはもともと東南アジア系の人たちで、南の方から舟(どんな舟だったのでしょ
う
か?)で河川、湖沼を伝いながら北上し、そして黄河の流域で陸に上がり、洛陽盆地のあたりに都を定め、やがて国としての形態をとるようになったそうです。
遺跡などから、河南省の安陽市もその一つとされています。
この夏人たちは"蛇身の水神(竜)を祀った"といわれています。雲を起し雨を呼ぶ神なのです。
竜の神話(文化)はインドにもあって"人面蛇身で大海や地底に住み、雲・雨を自在に支配する力をもつ"とされています。
日本の竹取物語に「はやても竜の吹かする也」というのが出てきます。
夏(か)王朝の次が殷(いん)または商(しょう)ともいいます。(商売が上手だったそうです。)そして次の周(しゅう)、この前11世紀ごろになると、青銅器が造られるようになり、その飾りに竜が形となって出現してきました。
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D:竜の姿・かたち
全体としては大蛇のようで4本の鹿の足、馬のたて髪、犬の爪、魚のうろこ、長い大きな髭などの姿です。"雲や雨をおこし万物に恵みをもたらす神"として中国の歴代の皇帝たちも自らを竜になぞらえたものです。
その極致を今の北京の明・清代王朝の故宮に見ることが出来ます。この故宮中央部東よりに、巨大なまことに立派な壁が空間を横切っています。これを『九竜壁』と言います。色彩も鮮やかな瑠璃瓦の九匹の竜がレリーフになって躍っています。
では、古代中国民話「九匹の竜の息子たち」のお話を。
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E:『九匹の竜の息子たち』
"竜には九匹の息子たちがいた。これらの息子たちは、それぞれ外見が異なり、また性格も違っていた。"
※ 余談ですが、九人兄弟など今の日本では聞くこともできませんが、60年ほど前までは、ざらにあったことです。かく言う私も兄弟5人で3番目、姉2人からですと5番目です。ちなみにあなたは何番目?
E-1.長男の竜のこと
名前を贔屓(ビシ)と呼びます。名前の字に貝(物・財)がたくさんですが、重い物を背負うのを好むため、亀の形に変身し、地面に腹ばいになって重たい石碑を背負っています。さすが長男!いろいろ大変ですネ。
私は台湾のある公園で、兄弟が皆仲良く亀になって九基の石碑を背負って並んでいるのを見ました。助け合っているのでしょうか?!
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E-2.次男の竜は
リ
チといい、遠くを眺めることと、ものを呑む(口偏がついていますね)のが好きです。そのためか屋根の棟瓦にはりつくように横たわっています。なか
には逃げ出すのを防ぐために、背中に剣を刺してあったりします。 また、棟瓦の両端を大きく呑んだ形で、建物を守っているのもこのリチです。日本の鬼瓦、
それから水を吹いて火から守ると言われる鯱(シャチ)のルーツかもしれません。
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E-3.三男の竜
蒲牢(プロウ)という名で、吼えるのが大好きなため、釣鐘のつり金具にされ、鐘と一緒にゴ~~ンと鳴るのです。小さい上に見えにくい処に居ますので、鼻めがねでなく遠めがねをご用意!
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写真8 | 写真9 |
E-4.四男の竜
ピークヮンといい、雑談が好きな性格で牢獄の入り口の上で睨みをきかせているそうです。 ケモノ偏で出来ている名のとおり見るからに恐い虎が吠えるとき
の形相です。私は六条院の明王院の「大護寺」という建物の扁額の上に見つけました。護っているのですね。迫力がありました。
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E-5.五男は
饕餮(トウテツ)です。2つの字とも"食"があるように、食べたり飲んだりが好きで、とにかく欲深く貪る性格だそうです。酒器や食器の飾りや模様にデザインされています。ラーメン丼の竜はこの人(竜)でしょう。
E-6.六男は
虫
八虫夏(パシャ)です。水がパシャと覚えたらいいですね。水が大好きな性質らしく、橋の欄干や水路の出口、また故宮では防火用の水がめの取つ手の飾りにに
もなっています。大原美術館前の今橋のレリーフの竜はこの六男です。またお寺などの手水(ちょうず)所の竜など比較的いろいろな所に容易に見つかります。
――写真⑪・⑫
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写真11 | 写真12 |
E-7.七男は
怖い目をして人を殺すことが好きだという物騒な息子です。
睚眦(ヤス)と言う名で(目偏にご注意!)日本刀の刀身に彫ってあったり、柄の飾りに使われていたりします。
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E-8.八男は
しゅん猊(シュンニ)といい、火や煙、また話しを聞くことが大好きなため、お寺の香炉の周りや仏座などの飾りになっています。
私は空海上人ゆかりの善通寺の大香炉にこの八男をみつけました。
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E-9.九男の竜は
さあ、末っ子です。椒図(シュト)といいます。閉じこもる性質があり、他人が自宅に入るのも嫌いです。そのため左右両開きの大きな門扉の飾りになって門番をしています。
4年前に北京旅行の際、天安門正門の扉で見つけました。予期していなかった"発見"だっただけに「あっ!あれだ!」と感動したものです。
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F:九匹の竜の息子の名と性格
これで九匹の竜の兄弟の話は終わりました。名前の漢字のことですが、見たことも無い漢字ばかりでした。辞書にもあまり出ていません。なにしろ文字も無
かったころの民話ですから、漢字は後になって適当に作られたものと思います。貝が、虫が、それに目や食など、きっとその竜の性格を考え合わせてつくったこ
とでしょう。
文化とは案外こんな面白い一面があるのかも知れませんね。
また、どうもあまり好ましくない性格の息子たちでした。考えてみると、字も紙も従って法律も無い時代のことで、話す聞かせるという口伝が唯一の方法であったでしょう。
「こんな性格・行動はダメだ!」という反面教師的な比喩をふくんだ民話としてごく自然に伝えられたものでしょう。そのようにして、竜の形が暮らしの随所に造られる様になっていったのでしょう。
以前、私がこの民話を友人にしたことがありました。黙って聞いていたその友人は「僕は九人兄弟だ!この竜の話しは当っとる!!」と、急に神妙な顔になられたことを思い出します。しかしその友人が果たして何番目の息子だったのか?未だに聞かずじまいです。
G:竜と稲作のルーツ
初めのほうの『祖先神の竜』でお話した夏人から分派した人たちに越(えつ)の人、さらに呉の人もいました。この越人・呉人は揚子江沿岸やその南の海岸沿いに住む海洋民族だったとする説があります。
この人たちが困難な航海に挑み、東の日本列島に稲作をもたらしたいわゆる弥生人といわれる人たちなのでしょう。"雲や雨の竜神"も米と一緒に渡ってきたと考えられます。
現在長崎地方などでペーロン(飛竜・白竜)という競漕のお祭りがありますが、歴史の再現を見る思いがします。
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地図2 |
H:今回のまとめ
漢人、ことに台湾に行くと強く感じるところですが、自分を"竜の国の人"と称えたりします。そして祀ることもしています。
このように、実在しない竜なのですが、トーテム(シンボル)として日本人の暮らしの中にも随所にその姿を見ることができます。
実は、伝統武術太極拳の発生・伝承地がこの竜の文化と同じルーツをたどった土地のように思えてなりません。
⑱の地図で、揚子江支流域の白帝域に近いところの武当山(道教の聖地。武術発生の地)。次に黄河流域の洛陽市。その近くの少林寺(少林寺拳法)。それに殷の遺跡がある安陽市も探してみてください。
おわり